西暦(和暦) | できごと |
754〜763年 (天平勝宝6年 〜天平宝字7年) |
鏡真和上が、東大寺大仏殿の盧遮那仏に花を献じたのが、松月堂古流・松月古流の花の起こりと言われています。 鑑真和上(688-763) |
806〜827年 (延暦25年/大同元年 〜天長4年) |
奈良元興寺の護命僧正が、四つの枝に「主・例・補・佐」と名付け、陰陽の枝を左右対称に巧みに 配置して献花しました。 元興寺(本堂/国宝・奈良県) |
1188〜1206年 (文治4年〜 元久3年/建永元年) |
京都高山寺の明恵上人(みょうえしょうにん)は、東大寺の僧の時代に「高弁」と名乗り、五つの枝で「あるべきやうに」と陰陽五行の立体的な花体を考案しました。この花体を古流と言います。 明恵上人(『集古十種』) |
1235年 (文暦2年/嘉禎元年) |
奈良西大寺の叡尊上人は、明恵上人の考えを受け継ぎ、本勝手・逆勝手の花体、真・行・走の花体をつくり、明恵上人の古流に「松月堂」という自分の号を組み合わせて松月堂古流という花を編み出しました。 奈良西大寺(本堂・奈良県) |
1746年 (延享3年) |
京都東福寺の宣柳居士は、我が花道は陰陽五行、千変万化、異生異体の物質所作をもって全体ならしめ、乾坤の霊と気をことごとく分解して 「一花の体用を働くこと、気味深長の秘伝なり」 と説き、松月堂古流を創流。池坊の立華一辺倒から、 「生花(いけばな)」 という新風を打ち立てた。 東福寺(本堂・京都府) |
1761年 (宝暦11年) |
下総/葛飾の人、是心軒一露が京都に松月堂古流を創流 安永初期は今の東日本橋、安永三年(1774年)は甲府、安永五年(1776年)は再び京都、そして大坂、伊勢、名古屋、静岡に流布。 |
1887年 (明治20年) |
日本橋/浜町に、松月古流創流。 松月堂古流の花型に、古流の花留めを取り入れ分派。明治20年。明治政府がいけばなを女学院の正科に採用すると、世の中の復古思潮とともに関連して、生け花は息を吹き返し東京を中心に盛んになり、新しい時代の生け花が求められはじめた。 |
1892年 (明治25年) |
日本最古の生け花団体「大日本華道国風会」創立に参画。 |
1912年 (明治45年) |
大日本華道国風会により、鎌倉建長寺にて二世家元後藤貫道をはじめとする物故者法要を開始。 鎌倉建長寺(境内・神奈川県) |
大正〜昭和初期 | 四世家元・村瀬宗通により、東京を中心に神奈川・埼玉・長野・秋田に流布。 |
大正〜昭和初期 | 四世家元・村瀬宗通により、明治神宮献花に参画。 |
1941〜1945年 (昭和16〜20年) |
四世家元・村瀬宗通、疎開先の秩父において没。松月古流会員である代々木八幡の福泉寺を菩提寺として永眠。 代々木・福泉寺(本堂・東京都) |
1945年〜 (昭和20年〜) |
浜松町、浦和、与野、大宮、桶川、川口、入間、飯能を中心に復興流布。七世家元、稲垣宗善により、西武バス・西友等法人開拓。フランス人の指導実施(現在パリで活躍)。 |
2008年 (平成20年) |
松月古流さいたま本部教室・おきな庵完成。 |
2011年 (平成23年) |
秩父神社秩父宮祭献花。秩父神社権禰宜・守屋宗通が八世家元を務める。 公式ホームページ開設。 |
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師範:田久保宗偉
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